11月22日のオランダの総選挙の結果は驚きの出来事が起こり、「オランダのトランプ」と呼ばれる極右政党の反イスラム主義者であるヘルト・ヴィルダース氏が劇的な勝利を収めた。その人物像とは!?
ヘルト・ヴィルダース(Geert Wilders)は、1963年9月6日にオランダのヴェンロで生まれ、オランダの右派政治の影響力を持つようになった政治家である。彼は反イスラムおよび反移民の観点を広めることで知られており、1998年からオランダ下院の議員として、2006年からは自由の党(PVV)の指導者として活動。
経歴:
ヴィルダース氏は中流家庭に生まれ、オランダ東部、ドイツとの国境近くで育った。オランダのオープン大学で法学のクラスを受講した。1981年から1983年まで彼はイスラエルに住み、中東を旅行。イスラム諸国を訪れる中で、ヴィルダース氏は政治的なキャリアを特徴づける反イスラムの考えを形成し始める。オランダに戻った後、彼は健康保険業界で働く。1997年にはウトレヒト市議会に自由と民主主義のための国民党( VVD)のメンバーとして選出され、翌年には国会議員に選出される。
国会議員として、当初はあまり注目されなかったが、2000年代初頭にオランダでは反イスラム感情の波が起こり、彼には自らの意見を表明するプラットフォームが生まれていった。2004年に有名画家のゴッホの弟の曾孫である映画製作者テオ・ファン・ゴッホが、女性のイスラム社会における役割を批判した短編映画「Submission」を公開した後、テオ・ファン・ゴッホは殺害された。この事件を受けて、ヴィルダース氏は政治の右翼で顕著な存在となり、イスラムを「ファシストのイデオロギー」と断じ、オランダへのムスリム移民に制限を求め、急速に熱狂的な支持者を獲得していった。
国民党( VVD)の設立:
彼は2004年にVVDを離れ、その一因として、同党がトルコの欧州連合加盟を支持したことを挙げている。そして、2年後に国民党( VVD)を設立。新興のPVVは2006年の議会選挙で9議席を獲得し、ヴィルダース氏は引き続きイスラムに対する発言を行い続けた。2007年にはコーランのオランダでの禁止を提案し、翌年には「Fitna」(「闘争」)という物議を醸す短編映画を制作。この映画はコーランの一節とイスラム主義とテロ攻撃をグラフィックな映像を組み合わせた内容となっていた。しかし、配信先を見つけることができず、ヴィルダースはインターネットで映画を公開。映画の宣伝ツアーを行い、その結果、2009年2月にはイギリス入国を拒否されるという事件が起こったが、最終的には覆されている。またオランダの裁判で彼がムスリムへの憎悪を煽ったとして告発されており、その後の裁判は2011年6月に全ての罪状で無罪となっている。
これらの問題を抱えていても、ヴィルダース氏とPVVは選挙で成功を収めていった。2009年の欧州議会選挙では、PVVは総投票数の16.9%を獲得し、9議席を獲得。さらに、2010年のオランダ議会選挙では、経済問題が選挙戦の争点を支配していたにもかかわらず、PVVの反移民の主張が有権者の共感を呼び起こし、PVVは15議席を獲得。これにより、VVDとキリスト教民主党によって形成された少数派政府で主要な役割を果たす機会を得ることとなる。
2012年9月に行われた選挙では、PVVは議会で9議席を失い、オランダの有権者は左派と右派の枠を越えてVVDと労働党を支持した。またオランダの主要政党はヴィルダース氏のPVVを連立交渉に含めない方針をとった。その後もオランダの有権者は主にPVVの反移民および反緊縮の主張を拒絶する傾向であった。
ヴィルダース氏は2016年10月に2回目のヘイトスピーチ裁判に出廷、彼の弁護士は事件を取り消すよう試みるも失敗する形となった。2016年12月、ヴィルダース氏は差別を扇動し、ムスリム系の団体を侮辱したとして有罪とされたが、憎悪を扇動した罪については無罪とされたが、実刑は課せられることはなかった。
この後も、PVVは2017年3月の総選挙に向けて強力な支持を保ち続けた。PVVは与党VVDに次ぐ20議席を獲得、オランダの主要政党は主にPVVを連立交渉に含める可能性を排除していた。
選挙の勝利とその背景:
そして2023年11月22日に行われたオランダの総選挙においてヴィルダース氏が劇的な勝利を収めた。この出来事はヨーロッパ各国に衝撃を与えた。各国のナショナリストや極右の政党はその成果を称賛。欧州の多くの国で反移民政党が台頭していると指摘されている。
実際、オランダでは年々増す難民・移民問題が問題となっており、選挙での争点となっていた。オランダの公式統計局によると、昨年オランダに移住した移民は40万人強で、その中には亡命希望者、オランダに働きに来る外国人、留学生が含まれる。この数字は、ロシアの侵略によって引き起こされた戦争から逃れてきた数千人規模のウクライナ人によって増加した。
オランダでは住宅問題が深刻化しており、需要に対して供給が追いついていない。また住宅価格、家賃も高騰しており、安価な公共住宅を探すオランダ人も多い。しかし主要都市では公共住宅は申し込みをしても空き物件の順番が回ってくるのに数年から十数年間待つのが普通となっているが、難民に公共住宅が優先的に提供されることに対して不満を持つオランダ人を少なくないとされていた。
この様な問題などを背景にヴィルダース氏は「移民や難民の津波に終止符を打つ」と宣言し、今回、大きく支持をえる結果となった。オランダ議会には 150 人の議員がおり、政府が過半数を形成するには 76 議席が必要である。単一の政党がこれを管理することはなく、オランダでは1 世紀以上にわたって連立政権によって統治されている。ヴィルダース氏は、議会で過半数を形成するために他の政党を説得しなければならない為、自身の主張をどこまで通せるかは未知数である。今回の選挙の結果によりヨーロッパの中でも特にリベラルと知られるオランダが今後、どの様な変容を遂げていくのか注目されていくこととなる。